こんにちは!
シェルです!
バスケットボールをやったことのある人なら、一度は目にしたことのあるバッシュ。
それは「エアジョーダン」シリーズ。
筆者もジョーダンブランドのウェアやバッシュはすごく好きで、今でもエアジョーダンのバッシュを履いています。
エアジョーダン好きの中には、非常にコアなファンもいて、エアジョーダンの話に花が咲くこともよくありました。
ところが、いくらバスケをやっているからと言って、そんなエアジョーダンに詳しい奴ばかりではありません。
ということで、もはやみんな知ってるでしょ?的な空気を感じざるを得ないと思うので、
今さら聞けない、エアジョーダンのバッシュの歴史を振り返っていきたいと思います。
Contents
【そもそもジョーダンって誰?】
もしかしたら、ほんの稀に、マイケル・ジョーダンのことを知らない人もいるかもしれませんので、マイケル・ジョーダンという人物についてご紹介していきますね( ´ ▽ ` )ノ
本名:マイケル・ジョーダン (Michael Jordan)
【誕生日】1963年2月17日
【出身地】アメリカ合衆国
【身長】198cm
【体重】99kg
【所属】
- シカゴ・ブルズ
- ワシントン・ウィザーズ
【ポジション】SG
【背番号】23、45番
マイケル・ジョーダンは電気技術者の父親と、銀行出向の母親の3男としてニューヨーク州のブルックリンで生まれました。その後ノースカロライナで幼少期を過ごし、地元の高校に進学しました。
高校入学時はバスケットボールに入れずに挫折した経験もあったが、2年生の時に念願のチーム加入を果たしました。そこから歴史は始まりました。高校卒業にはノースカロライナ大学に進学し、NCAAトーナメントでのウィニングショットと決めるなど、1年生からその非凡なの勝負強さを発揮し、2年生の時にはチームの柱として活躍し全米ジュニア選抜にもなりました。3年次の時にはネイスミス賞とウッデン賞を受賞をし、1984年にNBAへアーリーエントリーを行い全体3位でシカゴブルズから指名を受けてNBA選手となりました。
高校生の時には挫折を経験しながらも、それをバネに成功を収めていったマイケル・ジョーダン、果たしてマイケル・ジョーダン選手とはどんな選手なのでしょうか?
マイケル・ジョーダン選手の記録とともに振り返ってみましょう。
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マイケル・ジョーダンの記録
- 6×NBAチャンピオン : 1991~1993, 1996~1998
- 6×NBAファイナルMVP : 1991~1993, 1996~1998
- 5×MVP : 1988, 1991, 1992, 1996, 1998
- NBA最優秀守備選手賞 : 1988
- 10×得点王 : 1987~1993, 1996~1998
- 3×スティール王 : 1988, 1990, 1993
- 14×NBAオールスターゲーム出場 : 1985~1993, 1996~1998, 2002, 2003
- 3×NBAオールスターゲームMVP : 1988, 1996, 1998
- 2×NBAスラムダンクコンテスト優勝 : 1987, 1988
- オールNBAチーム
- 10×1stチーム : 1987~1993, 1996~1998
- 2ndチーム : 1985
- NBAオールディフェンシブチーム
- 9×1stチーム : 1988~1993, 1996~1998
- 新人王 : 1985
- NBAオールルーキーチーム 1stチーム : 1985
- NBA50周年記念オールタイムチーム : 1996
- No.23 シカゴ・ブルズ永久欠番
- No.23 マイアミ・ヒート永久欠番
- No.23 ノースカロライナ大学永久欠番
- 2×USAバスケットボール男子年間最優秀選手:1983, 1984
- NCAAチャンピオン : 1982
マイケル・ジョーダンは入団時からレギュラーとなり1年目には平均得点でリーグ上位のポイントであった28.2ポイントを記録するなど周囲を大きくわかせた。そして3年目にはその才能を完全に開花させ、リーグトップの一試合平均37.1得点をたたき出し、シーズン総得点は3,000点を超えウィルト・チェンバレン以来の数字を残す偉業を成し遂げました。
1990-91年シーズンまではボストン・セルティックス、デトロイト・ピストンズと競合になかなか勝てなく、苦戦することが多かったシカゴ・ブルズでしたがフィルジャクソンの采配とチームの成長によりこの年に初めて宿敵デトロイト・ピストンズをスイープしてNBAチャンピオンシップに駒を進めました。NBAファイナルでは当時のスーパースター、マジック・ジョンソンが率いるロサンゼルス・レイカーズとの対戦となりました。新旧スーパースター対決となったこのシリーズを、シカゴ・ブルズは4勝1敗で勝利し初優勝を果たし、マイケル・ジョーダンは初のNBAファイナルMVPを受賞しました。そしてここから伝説が幕を開けました。
その翌年もその次の年もシカゴ・ブルズはNBAチャンピオンとなり、1960年代にボストン・セルティックス以来の「スリービート」を達成しました。マイケル・ジョーダンは「スリービート」を達成した年のオフにNBAを早期引退を表明し一旦NBAから姿を消しました。そしてそこで、昔からのもう一つの夢でもあったMLB(メジャーリーグ)に挑戦をしました。1995年にはその後NBA復帰をする形にはなりましたが、ほかの選手では考えられないような行動をマイケル・ジョーダンはしてのけました。
1995年3月に再びシカゴ・ブルズに復帰をし、シーズン末の17試合に出場しました。プレーオフには出たものの、プレー感覚を戻し切れていなかったマイケル・ジョーダンのミスなどでチームは敗退しました。しかしその後伝説が再度現れることになりました。
1995-96年シーズンにシカゴ・ブルズは快進撃を続け、マイケル・ジョーダン自身も8度目の得点王に輝くなど完璧なカムバックを果たし、その勢いそのままにリーグ制覇をしました。そしてマイケル・ジョーダンも再度ファイナルMVPに輝きました。そして、1996-97年シーズンにもファイナルMVPを受賞し、チームもNBA2冠を達成しました。ここまでの合計でマイケル・ジョーダンとシカゴ・ブルズのNBAの優勝回数は5回と怪物的な数をたたき出しました。
そしてNBA前人未到の2回目の3連覇に挑んだマイケル・ジョーダンは1997-98年シーズンも決勝点のシュートを決めるなど活躍をしました。そしてブルズに6度目の優勝と2回目の「スリービート」を残し、同年のシーズン終了後であった1999年1月13日に2回目となる引退を表明しました。
その後2001年に低迷を続けるワシントン・ウィザーズのために2度目の現役復帰を果たし、NBAオールスターにも登場するなどしました。40歳でも40得点を決めるなど、年を重ねながらもプレーをし、2003年に3度目となる引退をしました。
3度の現役引退、そして2度のNBA復帰をしたマイケル・ジョーダン。皆さんはご存知でしたか?
そんなマイケル・ジョーダンのプレーを支えてきた、バッシュについてご紹介していきますね。
【エア・ジョーダンって何?】
このマークを知っている人はいますか?
もしこのマークを知っていたら、あなたはかなりエアジョーダン通ということになりますよ。
というのも、このマークこそ、マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデル、「エアジョーダン」が出始めたときのロゴなんですよね。
その後、ジャンプマンというこちらのロゴ↓に切り替わってしまったため、伝説のロゴとなりました。
現在のNBAでは、クリス・ポール、ポール・ジョージ、ウェストブルック、レブロン・ジェームズなどなど、たくさんの選手のシグネチャーモデルが出ています。
様々なシグネチャーモデルが排出される流れを作ったのは、マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデル、「エアジョーダン」なんですね。
つまり、このロゴこそが、NBAの歴史を新たに作った象徴なのです。
では、そんなNBAの歴史すら変えてしまった「エアジョーダン」シリーズ。
一体どんなものがあるのでしょうか?
【エア・ジョーダン①:AIR JORDAN Ⅰ】
まず1つ目にご紹介するエア・ジョーダンシリーズのバッシュは、「AIR JORDAN Ⅰ」です。
「AIR JORDAN Ⅰ」は、1984年10月15日に、ハイカットとローカットの2種類の萌えるが発売されました。
マイケル・ジョーダンの最初のシグネチャーモデルとなった「AIR JORDAN Ⅰ」が出た当初は、マイケル・ジョーダンはルーキーでした。
当時ルーキーだったマイケル・ジョーダンは、新人王を獲得し、オールスターにも出場し、一躍スター入りを果たし注目を集めました。
その結果、「AIR JORDAN Ⅰ」が販売してからたった3ヶ月後には売上が70億円にも登ったそうです。
これだけ爆発的な人気を獲得した「AIR JORDAN Ⅰ」は、当時マイケル・ジョーダンが所属していたチーム、シカゴ・ブルズのチームカラーに合わせてカラーリングしていました。
しかし、そのカラーリングがNBAの規定に違反していたため、そのバッシュを履いて試合に出たら、1試合に着き50万円の罰金が課されていました。
とは言ったものの、ナイキがその罰金を肩代わりし、マイケル・ジョーダンは「AIR JORDAN Ⅰ」のバッシュを履き続けルコととなりました。
【エア・ジョーダン②:AIR JORDAN Ⅱ】
次に2つ目にご紹介する、エア・ジョーダンシリーズのバッシュは「AIR JORDAN Ⅱ」です。
「AIR JORDAN Ⅱ」は、1987年にハイカットとローカットの、2つのモデルが発売されました。
ですが、「AIR JORDAN Ⅱ」が発売された当初は、カラーバリエーションが2色のみとほとんどありませんでした。
この「AIR JORDAN Ⅱ」では、エアジョーダンシリーズで唯一のイタリア製なため、ナイキのロゴが唯一入っていないモデルになります。
非常に珍しいモデルなのですが、日本ではあまり話題にならないモデルです。
ちなみに、このシグネチャーモデルが出た時のマイケル・ジョーダンは、NBA歴代2位となる、レギュラーシーズンの得点が、アベレージで37.1という驚異的な数字を記録しました。
ここでマイケル・ジョーダンは、初の得点王に輝いたのです。
【エア・ジョーダン③:AIR JORDAN Ⅲ】
続いて3つ目にご紹介するエア・ジョーダンシリーズのバッシュは、「AIR JORDAN Ⅲ」です。
「AIR JORDAN Ⅲ」は、1988年に発売。
このバッシュは、エアジョーダンシリーズで初めてのミドルカットのモデルのみが販売されました。
また、「AIR JORDAN Ⅲ」から、有名なジャンプマンのロゴが入れられるようになりました。
以降、ボールから翼が生えたようなエア・ジョーダンのマークはなくなりました。
このバッシュは、1987年に発売された「エア・マックス」で搭載された、「エア」というシステムを搭載しています。
このエアがかかとの部分に入る事で、かなりクッション性が向上されました。
以降、バッシュにはエアが搭載される流れが生まれます。
【まとめ】
いかがでしたか?
【そもそもジョーダンって誰?】
【エア・ジョーダンって何?】
【エア・ジョーダン①:AIR JORDAN Ⅰ】
【エア・ジョーダン②:AIR JORDAN Ⅱ】
【エア・ジョーダン③:AIR JORDAN Ⅲ】
まだまだAIR JORDANのシリーズはたくさんあるので、引き続き連載して行きますよ( ´ ▽ ` )ノ
どうぞ楽しみにしていてくださいね♪
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