【NBAニュース】2022年の殿堂入りメンバーが発表される

ネイスミス・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム(以下、殿堂入り)が9月10日(日本時間11日)、マサチューセッツ州スプリングフィールドで2022年のバスケットボール殿堂入り式典が開催されました。

北米委員会と女子委員会が選出したのは、NBAオールスター選出2回とNBA優勝4回のマヌ・ジノビリ、NBAオールスター選出5回のティム・ハーダウェイ、NCAAナショナルコーチ・オブ・ザ・イヤー2回受賞のボブ・ハギンズ、NBA歴代6位の勝利数を誇るジョージ・カール、NBAのレフリーを長年務めたヒュー・エバンス、WNBAオールスター選出5回、WNBA優勝3回、オリンピック金メダル2度獲得のリンジー・ウェイレン、WNBAオールスター選出4回、オリンピック金メダル2度獲得のスウィン・キャッシュ、NCAA優勝、WNBA最優秀コーチ受賞者のマリアンヌ・スタンリーです。

その他の選出から殿堂入りを果たしたのは、ルー・ハドソン、ラリー・コステロ、デル・ハリス、テレサ・シャンク・グレンツ、ラディヴォヤ・コラッチ、ワイアット・“ソニー”・ボズウェル、インマン・ジャクソン、アルバート・“ラント”・プリンズです。

サンアントニオ・スパーズのビックスリーであったジノビリのプレゼンターは、サンアントニオ・スパーズでチームメイトだった盟友たちが務めました。すでに殿堂入りしているティム・ダンカンと、来年資格を得るトニー・パーカーでした。

APは、ジノビリが「スパーズは自分にとって、大きくて強い、支えてくれるひとつの家族でした」と述べたと伝えています。

またAPは、歴代最多白星を記録し、将来的な殿堂入りが見込まれるスパーズのグレッグ・ポポビッチ・ヘッドコーチに対し、ジノビリが「ポップ(ポポビッチHC)、何と言ったらいいのでしょう? あなたはコート内外にわたり、自分と家族にとって本当に、本当に重要な存在でした。感謝してもしきれません」と敬意を表したと報じました。

おすすめ記事 → 【筋トレ】バスケでフィジカルが劇的に強くなる11の筋トレメニューまとめ【保存版】

おすすめ記事 → 【筋トレ】バスケでシュート率が劇的に上がる9つの筋トレメニューまとめ【保存版】

【マヌ・ジノビリとは?】

本名:マヌー・ジノビリ(Manu Ginobili)

【誕生日】1977年7月28日
【出身地】アルゼンチン
【身長】198cm
【体重】95kg
【所属】サンアントニオ・スパーズ
【背番号】20番
【ポジション】SG
【受賞歴】

  • 4× NBAチャンピオン (2003, 2005,2007, 2014)
  • 2× NBAオールスターゲーム (2005, 2011)
  • 2×オールNBAサードチーム (2008,2011)
  • NBAシックスマン賞 (2008)
  • NBAオール・ルーキー・セカンドチーム (2002)
  • FIBAアメリカチャンピオンシップMVP (2001)
  • ユーロリーグチャンピオン (2001)
  • ユーロリーグファイナルMVP (2001)
  • オールユーロリーグ・ファーストチーム (2002)
  • コッパイタリアMVP (2002)
  • 2× セリエAMVP (2001–2002)
  • 2× オリンピア賞(アルゼンチン) (2003–2004)
  • コネックス・ダイアモンド賞 (2010)
  • ユーロリーグ史上の偉大な50人の貢献者 (2008)

バスケットボール一家に生まれたジノビリは、バスケのコーチをする父親のもとで生まれ、兄弟と共にプロ選手を目指しながら育っていきました。1998年にイタリアのセリエAでプロとなり2002年までプレーを行いました。

セリエAの2年間の間でジノビリはMVPに輝くなど活躍し、2008年3月に、ユーロリーグ史上の偉大な50人の貢献者の1人に選ばれるなど、その功績はイタリヤでも輝かしいモノでした。

2002-2003年シーズンからはNBAのサンアントニオ・スパーズでプレーをし、オールルーキー2ndチームに選出されるなどの活躍をしました。2004-2005年シーズンにはNBAのオールスター選手に選抜されるなど注目を集め、サンアントニオ・スパーズもリーグ優勝を果たし、同年に行われたアテネオリンピックでのアルゼンチン代表としての世界チャンピオンを含め、キャリア内でも一番の輝きを放つシーズンとなりました。2005-2006年シーズンにはキャリア3つ目のNBAチャンピオンの称号を得ました。このシーズンから約5年間はジノビリは怪我が多く、シックスマンとしてプレーすることが多くなりました。

しかし2010-2011年シーズンにはビックマンのティム・ダンカンの体力的衰えなどを理由に再度スターターとしてチームの中枢を担い、2度目のNBAオールスターに出場することになりました。その後も度重なる怪我と年齢からくる衰えなどで、一時期引退も示唆されていましたが、シックスマンとして三度素晴らしい結果を残し、自身4つ目となるチャンピオンリングを2013-2014年シーズンに獲得しました。

その後も引退説は多く流れていましたが、お世話になっているサンアントニオ・スパーズで現役としてプレーしていましたが引退を表明しました。

About 餅つきうさぎ 1274 Articles
中学時代にアメリカでバスケを経験し、日本人にはない独特のプレイスタイルでバスケを楽しんでいる。

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*