【NBAニュース】ウェイドとノビッキーのラストダンス

2018-2019年シーズンもレギュラーシーズンが終了いたしました。選ばれし16チームがこれからプレイオフで、ますます熱い戦いの幕を開けるわけではありますが、その反面で今季限りでNBAのキャリアに幕を閉じる選手もいます。

今回はその輝かしすぎるNBAでのキャリアの幕を閉じるプレイヤーを2人ピックアップしてご紹介します。そのプレイヤーとはマイアミ・ヒートに所属するドウェイン・ウェイド選手とダラス・マーベリックスに所属するダーク・ノビッキー選手です。

この2人は共にNBAチャンピオンにも輝いたことのある、NBA引退後も間違いなくそのプレイが人々の心に残り語り継がれることが間違いなしのプレイヤーです。今回はそんなドウェイン・ウェイドとダーク・ノビッキーのNBAキャリアの総集編をご紹介いたします。

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Contents

【ダーク・ノビッキーのラストダンス】

ダーク・ノビッキーの引退会見は試合後いきなり始まりました。2019年4月10日、ダラス・マーベリックスのホームにて、フェニックス・サンズとの試合の後、シーズンハイの30得点8リバウンド3アシスト1ブロックのスタッツを残し、ダーク・ノビッキーのこれまでの軌跡が語られ始めました。

「もうわかっていると思うけど、今日は僕にとって最後のホームゲームだった。数多くの人たちに、本当に感謝している。これまで何度も浮き沈みがあったけど、すばらしい旅路だった。その中で、ファンの皆はいつも一緒にいてくれたし、僕のことをサポートしてくれた。本当に感謝している」。

この動画は、ダーク・ノビッキーの引退を惜しみながらもたたえた引退セレモニーの動画です。そのセレモニーには、NBAレジェンドであるホールオブフェイムであるスコッティ・ピッペン、ラリー・バード、チャールズ・バークレーが参列しダーク・ノビッキーの引退を惜しみながらも祝福しました。

これは本当にこころあたたまり、最高のセレモニーだと思います。ダーク・ノビッキーは史上6人目の30000得点10000リバウンドを記録し、アメリカ国外出身の選手としては史上初の通算30000得点を達成しました間違いなく今後も語り継がれる選手です。

  • NBAチャンピオン ::2011
  • MVP:2007
  • NBAファイナルMVP:2011
  • 13*NBAオールスターゲーム出場:2002-2012,2014,2015
  • NBAスリーポイント・シュートアウト優勝:2006
  • NBAシューティングスターコンペティション優勝:2010
  • オールNBAチーム選出
    • 4×1stチーム:2005-2007,2009
    • 5×2ndチーム:2002-2003,2008,2010-2011
    • 3×3rdチーム:2001,2004,2012

多くの記録を残してダーク・ノビッキーは同じチームで21シーズンを過ごし引退をしました。

最後の動画は2011年にNBAチャンピオンに輝いた時の動画です。レブロン・ジェームス、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュというビックスリーがいる中優勝した時の動画です。

【ダーク・ノビッキーとは?】

http://hoops-japan.com/basket-ball-20180210b/

本名:ダーク・ノビッキー(Dirk Nowitzki)

【誕生日】1978年6月19日
【出身地】ドイツ
【身長】213cm
【体重】111kg
【所属】ダラス・マーベリックス
【背番号】41番
【ポジション】PF

  • NBAチャンピオン ::2011
  • MVP:2007
  • NBAファイナルMVP:2011
  • 13*NBAオールスターゲーム出場:2002-2012,2014,2015
  • NBAスリーポイント・シュートアウト優勝:2006
  • NBAシューティングスターコンペティション優勝:2010
  • オールNBAチーム選出
    • 4×1stチーム:2005-2007,2009
    • 5×2ndチーム:2002-2003,2008,2010-2011
    • 3×3rdチーム:2001,2004,2012

ダーク・ノビッキーはドイツのヴュルツブルクでハンドボールドイツ代表の父と、女子バスケットボール選手であった母との間で生まれ、バスケットボールは中学生になったときに始めました。

15歳ごろになると、ダーク・ノビッキーはドイツのプロバスケットボールチームであるDJKヴュルツブルクの下部チームに所属しその後16歳には正式なチームメイトとしてプレーをはじめた。

19歳の時には身長が211センチまで伸び得点力でチームに貢献し、チームを1部リーグへと押し上げ個人としてもイツバスケット誌選出の年間最優秀選手に選出されました。その後ナイキが主催した「フープ・ヒーローズ・ツアー」で当時のNBAの現役スーパースター、チャールズ・バークレーやスコッティ・ピッペンと対戦する機会を恵まれ、30分のエキシビションゲームでノヴィツキーはバークレーの上からダンクを決めるなど活躍をしました。

その後、1998年に行われたナイキ・フープサミット(全米ジュニア選抜 vs 世界ジュニア選抜)で全米選抜チームを破り、NBAスカウト陣の注目の的となりました。

ダーク・ノビッキーは1998年にNBAドラフトへエントリーを表明しました。ドラフトではミルウォーキー・バックスに全体9位指名で選ばれるも、交渉はそのままダラス・マーベリックスにトレードの話と一緒に移行されユニホームの袖を通したチームはダラス・マーベリックスとなりました。そこからダーク・ノビッキーの今もなお続くダラス・マーベリックス選手生命が始まりました。

NBAでデビュー時こそ身長が大きかったもののNBAのフィジカルについていけず、苦労したものの持ち前の長身からのシュートとパスのスキルで頭角を現し、NBA3年目である2000-01シーズンには21.8得点9.2リバウンドと一流選手の数字を残し、通算3P成功数151本101ブロックは3P成功数100本100ブロック以上を達成した選手として史上2人目の快挙となりました。その実績もあり、オールNBA3rdチームに初選出されました。

その翌年の2001-02シーズンには初のオールスター出場を果たし、オールNBAチームでは2ndチームに選ばれました。NBA6年目であった2004-05シーズンにはキャリアハイの53得点を記録し、アメリカの高校、もしくは大学に通わなかった選手としては初の快挙であるオールNBA1stチームに選出されました。2005-06シーズンには初のNBAチャンピオンシップを経験し、ドウェイン・ウェイドとシャーッキー・オニールようするマイアミ・ヒートと対戦し2勝4敗と敗れました。翌年もシーズンMVPには輝いたものの、プレイオフではなかなか調子が上がらないことが多く、頂点に立つことはなかなかありませんでした。

そして、2010-11シーズンにダーク・ノビッキーはNBAファイナルMVPになる活躍を見せ念願のNBAチャンピオンの栄冠を手に入れました。その後マブスは古豪ではあるもののなかなかNBAチャンピオンからは離れていますが、2017年には、ダーク・ノビッキーが史上6人目の30000得点10000リバウンドを記録し、アメリカ国外出身の選手としては史上初の通算30000得点を達成しました。

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【ドウェイン・ウェイドのラストダンス】

ドウェイン・ウェイドのラストゲームとなった試合で、ドウェイン・ウェイドはトリプルダブルを達成し、NBAのキャリアの幕を閉じることになりました。その引退試合になった試合には元チームメイトで優勝の喜びを一緒に分かち合ったレブロン・ジェームスや、家族がらみで仲がいいと言われているクリス・ポールなどがおり、試合後一緒に写真撮影をしていました。

  • 3×NBAチャンピオン : 2006 ,2012, 2013
  • NBAファイナルMVP : 2006
  • 12×NBAオールスターゲーム出場 : 2005~2016
  • NBAオールスターゲームMVP : 2010
  • オールNBAチーム
    • 2×1stチーム : 2009, 2010
    • 3×2ndチーム : 2005, 2006, 2011
    • 3×3rdチーム : 2007, 2012, 2013
  • NBAオールディフェンシブチーム
    • 3×2ndチーム : 2005, 2009 ,2010
  • NBAオールルーキーチーム 1stチーム : 2004
  • 2×NBAスキルチャレンジ優勝: 2006, 2007
  • 得点王:2009
  • シーズン最多得点:2009(2386
  • No.3 マーケット大学永久欠番

身長191㎝というNBA内では決して大きくない身長でありながらも、相手を切り裂いて得点を量産するドウェイン・ウェイドのプレーに魅了されたファンは多いのではないでしょうか?筆者の私も間違いなくその魅了されたファンの1人です。

以下で紹介しているトリビュート動画は、マイアミ・ヒートがドウェイン・ウェイドのマイアミという場所に残した沢山の感謝をまとめた動画で、引退試合の2試合前に流されたものです。

【ドウェイン・ウェイドとは?】

本名:ドウェイン・ウェイド(Dwayne Wade)

【誕生日】1982年1月17日
【出身地】アメリカ
【身長】193cm
【体重】100kg
【所属】マイアミ・ヒート
【背番号】3番
【ポジション】SG/PG

  • 3×NBAチャンピオン : 2006 ,2012, 2013
  • NBAファイナルMVP : 2006
  • 12×NBAオールスターゲーム出場 : 2005~2016
  • NBAオールスターゲームMVP : 2010
  • オールNBAチーム
    • 2×1stチーム : 2009, 2010
    • 3×2ndチーム : 2005, 2006, 2011
    • 3×3rdチーム : 2007, 2012, 2013
  • NBAオールディフェンシブチーム
    • 3×2ndチーム : 2005, 2009 ,2010
  • NBAオールルーキーチーム 1stチーム : 2004
  • 2×NBAスキルチャレンジ優勝: 2006, 2007
  • 得点王:2009
  • シーズン最多得点:2009(2386
  • No.3 マーケット大学永久欠番

ドウェイン・ウェイドは2003年NBAドラフトで全体5位指名でNBA入りを果たしました。多彩な技術や強靭な肉体を兼ね備えていたドウェイン・ウェイドは、得点を量産していくシューティングガードとして活躍していきました。

ドウェイン・ウェイドもレブロン・ジェームス同様に、マイケル・ジョーダンに憧れてNBAを目指した選手の1人です。2003年NBAドラフトで入団してから実に13年間マイアミ・ヒートに在籍していたドウェイン・ウェイドは、先程も取り上げましたが、レブロン・ジェームスとクリス・ボッシュと共に”BIG3”を結成し、NBA界を大いに盛り上げていきました。

現在は、一度はレブロン・ジェームスが所属するクリーブランド・キャバリアーズでシックスマンとして出場していたものの、今は古巣であるマイアミ・ヒートに戻りプレーしています。ドウェイン・ウェイドも今年で37歳を向かえ、ベテラン選手と言われる選手なのは間違いありません。これ程の活躍した選手であれば、ドウェイン・ウェイドが付けていた背番号”3”は永久欠番になることは間違いないでしょう。

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中学時代にアメリカでバスケを経験し、日本人にはない独特のプレイスタイルでバスケを楽しんでいる。

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