年に一度のNBAの祭典である、第70回NBAオールスターゲームが現地時間3月7日ジョージア州アトランタのステイト・ファーム・アリーナで開催され、チーム・レブロンがチーム・デュラントに170-150で勝利しました。
今回はそんなNBAオールスター2021年のオールスを終えて、今回のNBAオールスターを振り返ってみようと思います。
–
おすすめ記事 → 歴史に名を刻むことができるか!?!?2011年NBAドラフト組
おすすめ記事 → NBA界の”モンスター”を多数輩出した、2009年NBAドラフト
–
–
Contents
【NBAオールスターチャレンジズ】
「TACO BELLスキルズチャレンジ」
3月7日(日本時間8日)にジョージア州アトランタのステイトファーム・アリーナで行なわれたNBAオールスター2021内の『第19回タコベル・スキルズチャレンジ』で、インディアナ・ペイサーズのドマンタス・サボニスが、決勝ラウンドでオーランド・マジックのニコラ・ブーチェビッチを破って優勝しました。
【ドマンタス・サボニスのプロフィール】
本名:ドマンタス・サボニス (Domantas Sabonis)
【誕生日】1996年5月3日
【出身地】リトアニア
【身長】209cm
【体重】108kg
【所属】インディアナ・ペイサーズ
【ポジション】PF/C
ドマンタス・サボニスは16歳からプロバスケットボール選手としてスペインのリーグでプレイをしていた選手です。高校時代からプロとしてはプレイしていたものの、サラリーを受け取ることを選ばずにNCAA挑戦をしており、八村塁で一躍日本人におなじみになったNCAAディビジョン1所属のゴンザガ大学に進学しました。
スペインでプロとして活躍していたこともあり、ゴンザガ大学でも二けた得点で二けた近いリバウンドをする選手としてチームの中核を担っており、2年時にはESPNのまとめるNCAAのランキングで全米20位の高評価を受けていました。2年目となったNCAAシーズンも30得点以上、10リバウンド以上を記録する試合が多々あり、現地のメディアでベン・シモンズ、ジャマール・マレー、ブランドン・イングラムなどと共にオールアメリカサードチームに選出されるなど全米でも注目度の高いセンタープレイヤーでした。その後NBAにアーリーエントリーを行い2016年に1巡目11位でオーランド・マジックに指名されました。
–
「MTN DEW 3ポイントコンテスト」
3月7日、ジョージア州アトランタのステイト・ファーム・アリーナで行なわれたNBAオールスター2021の『第35回マウンテンデュー・3ポイントコンテスト』で、ゴールデンステイト・ウォリアーズのステフィン・カリーが2015年以来2度目となる優勝を果たしました。
【ステファン・カリーのプロフィール】
本名:ステフィン・カリー(Stephen Curry)
【誕生日】1988年3月14日
【出身地】アメリカ合衆国
【身長】192cm
【体重】86kg
【所属】ゴールデンステート・ウォリアーズ
【背番号】30番
【ポジション】PG
NBAプレイヤーである父親のデル・カリーとバレーボール選手との母との間で生まれたカリーは、父親がプロのバスケットボール選手だったこともあり、小さい時からバスケットチームを触っていた子供でした。
高校ではカンファレンス優勝などの原動力となっていたカリーだったが、身長183㎝体重が75.5㎏だった彼に対してどのメジャー大学からも奨学金オファーを受けることができずにデビットソン大学に進学しました。
しかし大学に入ると力を存分に発揮し、NCAA内では1年生の時から注目選手となりました。身長も2年生になるころには191㎝に伸び、バスケットボールU-19世界選手権のメンバーになるなど世間にも認められ始めた転換期となりました。そしてNBAには大学3年生終了後にアーリーエントリーをして、2009年にゴールデンステート・ウォリアーズから全体7位で指名を受けました。
–
「AT&Tスラムダンク(ダンクコンテスト)」
3月7日(日本時間8日)、NBAオールスター2021の『第36回AT&Tスラムダンク』(スラムダンクコンテスト)がジョージア州アトランタのステイトファーム・アリーナで開催され、ポートランド・トレイルブレイザーズ3年目のアンファニー・サイモンズが初優勝した。
【アンファニー・サイモンズのプロフィール】
本名:デリック・ジョーンズ(Anfernee Simons)
【誕生日】1999年6月8日
【出身地】アメリカ合衆国
【身長】191cm
【体重】82kg
【所属】ポートランド・トレイルブレイザーズ
【ポジション】SG
- NBAスラムダンクコンテスト優勝:2021
- ジョーダン・ブランド・クラシック: 2018
- ナイキ・フープサミット : 2018
2018年ドラフト1巡目全体24位でポートランド・トレイルブレイザーズから指名されNBAデビューを飾ったアンファニー・サイモンズは、2019年4月10日のサクラメント・キングス戦ではデイミアン・リラード、C・J・マッカラムの両エースが欠場するなかキャリアハイの37得点を記録するなど、ポートランド・トレイルブレイザーズの第3の顔として注目されている選手です。
–
おすすめ記事 → 意外と知らない!!ストレッチを効かせるための3つの方法
おすすめ記事 → 【ストレッチ】アメリカ代表から学ぶ!!試合前のストレッチ!
–
–
【第70回NBAオールスターゲーム】
第70回NBAオールスターゲームは、チーム・レブロンがチーム・デュラントに170-150で勝利しました。
試合のフォーマットは昨年に続き、各クォーター毎に勝敗を決める新フォーマットが採用された。第4クォーターは第3クォーターまでの合計得点の高いほうのスコアに、24を足した数字を『最終目標得点』(ターゲットスコア)とし、その得点に先に到達したチームが勝者となる。第4Qは時間無制限で最終目標得点に到達するまで争う、というルールでおこなわれました。
今年はNBAオールスター投票2021(ファン投票)で各カンファレンスの最多得票を集めたロサンゼルス・レイカーズのレブロン・ジェームズと、ブルックリン・ネッツのケビン・デュラントそれぞれキャプテンに選ばれました。両キャプテンはチーム・レブロン、チーム・デュラントのキャプテンとしてチームを編成し、昨年と同様オールスターゲームで対戦する形となります。レブロン・ジェームズは17年連続17回目、ケビン・デュラントは11回目のオールスター選出となりました。しかしケビン・デュラントはケガの為、出場できませんでした。
また今回のオールスターゲームはクォーターごとに勝利チームを決めて勝者が選んだ慈善団体に寄付をする新たなフォーマットを採用し、チーム・レブロンはChicago Scholars、チーム・ヤニスがAfter School Mattersに賞金を寄付する形になりました。
試合は第1クォーターから、この日オールスターゲームの前に行なわれた3ポイントコンテストで通算2度目の優勝を果たしたカリーが4本の3ポイントショットを決めて12得点、インサイドでダンクを連発したアデトクンボが11得点を獲得したチーム・レブロンが40-39で勝利を収めました。
第2クォーターは僅差の展開で始まったものの、カリーがハーフコート近くからの3ポイントショットを決めるなど、流れを引き寄せたチーム・レブロンが連続12得点で一気にリードを広げた。クォーターの終わりには、デイミアン・リラード(ポートランド・トレイルブレイザーズ)とカリーがそれぞれハーフコートショットを決め、チーム・レブロンが60-41で勝利しました。
第3クォーターはジェームズがベンチに下がり、代わりにリラードが先発メンバーと出場した。総得点の点差を縮めたいチーム・デュラントだったが、チームとしてフィールドゴール成功率64.3%、3ポイント成功率55.6%とタッチが良かったチーム・レブロンが46-45で3クォーター連続で勝利しました。
ゲームクロックが消され、先に170点に到達したチームが勝利となる最終クォーターは、チーム・デュラントが3ポイントショットを多投し、反撃を仕掛ける。しかし好調リラードが、このクォーターだけで3本の3ポイントショットを決め、チーム・レブロンの勝利を決定的なものとした。167-150とあと3点で勝利が決まる場面では、リラードが再びハーフコートからのショットを決め、勝負を決めました。
NBAオールスターゲームMVPから名称変更された『Kia NBAオールスターゲーム・コービー・ブライアントMVPアウォード』の最初の受賞者には、16本全てのショットを決め、35得点、7リバウンド、3アシスト、1スティール、1ブロックを記録したアデトクンボが選出されました。
【ヤニス・アデクトンボのプロフィール】
本名:ヤニス・アデトクンボ(Giannis Antetokounmpo)
【誕生日】1994年12月6日
【出身地】ギリシャ
【身長】211cm
【体重】100kg
【所属】ミルウォーキー・バックス
【背番号】34番
【ポジション】スモールフォワード
- 2×MVP : 2019,2020
- NBA最優秀守備選手賞 : 2020
- 4×NBAオールスターゲーム出場 : 2017-2021
- オールNBAチーム
- 2×1stチーム:2019, 2020
- 2×2ndチーム:2017, 2018
- NBAオールディフェンシブチーム
- 2×1stチーム : 2019, 2020
- 2ndチーム:2017
- MIP : 2017
- NBAオールルーキーチーム 2ndチーム : 2014
ヤニス・アデトクンボは17歳の時にギリシャのプロバスケリーグでデビューを果たしているんです。
その後、NBAのスカウト陣の目に止まり、2013年にNBAへの道を決断しました。
1巡目15位でミルウォーキー・バックスに指名され見事NBAへの挑戦権を手にすることができました。
NBA入団当初
NBAに入団したヤニス・アデトクンボはジェイソン・キッドHCの元、新たなバスケ人生をスタートしました。
ジェイソン・キッドと言えば、引退前はNBAを代表するポイントガードとして活躍していました。
しかし、ヤニス・アデトクンボはジェイソン・キッドHCがどのような人物なのか知らなかったそうです。
始めは、ベンチ起用の時期が多く指揮官であるジェイソン・キッドに対して腹を立てていた時期もあるそうです。
そこで、ヤニス・アデトクンボはジェイソン・キッドHCについて調べました。
検索した結果、新人王受賞・NBA通算アシスト数歴代2位・通算3Pシュート成功数歴代5位など、多数のNBA記録を受賞していることを知り、キッドHCの指示に従おうと決めたそうです。
Leave a Reply